第4話
問題行動
人はなぜ犬が好きなんでしょうね。
いや根っからの猫好きもいますが…。ちなみに私はどちらとも大好きです。ジャガイモのような名前のメインクーンを飼いたいのですが、
かみさんのお許しが得られていません。残念!
犬は社会性・協調性に富んでいます。尻尾を振り振り、人ににじり寄り、伴侶として無二の地位を獲得しています。あまりに身近な存在です。
ある本に人と犬の関係についてとても興味深いことが書いてありました。
「私達人間は幼態成熟(成人後も幼児性を保持している)した猿である。犬は、遊び、探究心、リ-ダ-への服従といった幼年期の特性を維持するよう繁殖されてきた。人間が種の境界線を越えて付き合うために選択した生物が、自分達同様に成熟後も幼年期の行動を持ち続ける種であったという点が非常に面白い。これがなぜ犬でなければならないかという疑問に対する答えであるようだ」。
少し難しい表現で書かれていますが、要するに人と犬はどちらも幼稚ということで同じ特性を持っているということです。ここに人が犬に惹かれる最大の理由があるのかもしれません。
飼い主さんに誤解が多くみられる犬の習性をいくつか取り上げてみることにします。
人間ほど複雑には考えませんが、ちゃんと考えて行動します。“動物的カン”だけで行動しているかのようなボビーだってちゃんと考えています(ただしそのレベルは“下の中”程度です)。記憶力も相当なものです。かといって、「人間並みに考える」と誤解しないでください。「ある程度は」なのです。
断片的には理解できます。実は言葉の理解力より観察力がとても優れています。物事の微妙な変化を感じ取ることができます。飼い主さんの言葉を全て理解したかのように行動する立派な犬もいます。飼い主さんの言い回しの微妙な変化を感じ取っているのでしょう。ただし、こんな立派な犬はテレビの中でしかお目にかかったことはありません、少なくとも私は。
共同生活をする飼い主さんとしては飼い犬にもモラルを求めがちですし、家族の一員たる「社会的責任」を期待します。でも、人間の価値観での“良い”“悪い”は残念ながら通用しません。「分別があり、徳の高い犬はいない」と思っていた方が無難です。
犬の仁義はきちんと守ります。守れない犬には制裁が待っています。でも、人間の作ったルールをいつも守るとは限りません。ルールを守っているかのように見えるのは習慣になっているだけです。道の向こう側から小生意気な猫ちゃんが挑発すると、とたんに車道に飛び出します。
犬種により得意科目と不得意科目があります。そりゃあそうです。人間が目的を持って、犬族の進化に積極的に関与し、選択交配してきたんですもの。いずれにしても、どの犬種もそれなりに一芸に秀でているといえます。人間の尺度をもって頭の“良し悪し”を判断するのは、それこそ“独断と偏見”です。それから飼い犬の知能の程度より知能の限界を知るほうが重要です。
犬種によってその行動に特徴があります。これを“行動特性”と言います。
行動特性として三つ(反応性、訓練性能、攻撃性)に注目し、7グループに犬種を分類した報告があります。1985年のハート博士等の報告です。ずいぶん昔の研究報告です。それからさらに選択交配が進んでいますので、現状とはやや異なるかもしれません。また、当然ながら個体差もあります。でも、犬種の特徴を考える上でとても参考になります。一覧表を載せておきます。
なお、「反応性」には、愛情要求、興奮性、無駄吠え、子供にちょっかいを出す、一般的な活動性などが含まれます。「訓練性能」は、服従性、トイレ等のしつけのしやすさなどです。「攻撃性」には、縄張り防衛、番犬性能、他犬に対する攻撃、飼い主に対する支配性などがあります。
さて、我が家の場合です。
ボビーの特性は「反応性が低い、訓練性能も低い、だけど攻撃性は高い」でした。
どうも「打っても響かず、訓練には関心を示さず、ちょいと飼い主をなめた犬種」ということになります。自意識過剰で、自主自立を尊ぶ犬種のようです。同じグループには一癖二癖ありそうな犬種が並んでいます。
三四郎の特性は「訓練性能がとても高く、反応性も高く、攻撃性は中程度」だそうです。
三四郎の育て方は完璧に間違えました。自由奔放に育て、基本訓練もほとんどやっていません。せっかくの訓練性能を野に埋もれさせてしまったのです。攻撃性は中程度とのことですが、散歩中に知らない犬を見かけると、「寄らば切るぞ!」と叫びながら歩いています。この攻撃性がなかなか治りません。